アポなし突撃取材を敢行する、マイケル・ムーアの政治バラエティーショー
イラク戦争開始直後に行われた2003年度アカデミー賞。ものものしい雰囲気のなか、『戦場のピアニスト』(2002年)で主演男優賞に輝いたエイドリアン・ブロディは、「戦地に派遣された友人が無事に戻ることを祈ります」と語り、主演女優賞のニコール・キッドマンは「神のご加護を」と祈りを捧げた。
しかし、あり余る体脂肪を映画テロに燃焼させる“爆弾男”マイケル・ムーアは、「戦争には絶対反対だ。ブッシュ大統領よ、恥を知れ!!」と絶叫。怒号と拍手が渦巻いた。
このスピーチを見て僕は確信に至る。『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年)は社会派ドキュメンタリーではなく、アポなし突撃取材という『電波少年』的アプローチのバラエティーショーである、と。
マイケル・ムーアの姿勢は、あくまでアメリカ中枢部のマジョリティーであるネオコンに対してのカウンターパンチ。マイノリティーがマジョリティーに対抗するには、このような不意打ち作戦しかない!
強いアメリカを半世紀にわたって体現してきた、レジェンド・オブ・マッチョことチャールトン・ヘストンが、都合の悪い質問には黙り込んでしまうのも、周到なマイケル・ムーアの計算。
「私から銃を取り上げるなら私を殺せ」と、NRA(全米ライフル協会)の大会で高らかにライフルを掲げたヘストンの姿は、そこにはない。無意識に差別思想が露わになった哀れな老人を、カメラは残酷に暴きだす。
NRAは「ムーアは、ヘストンがアホでマヌケに見えるように編集した」と非難し、ムーア本人はこのシーンをは全編ワンカットで撮っているので、恣意的ではないと反論しているらしい。
いや、このシーンそのものを映画に組み込んだ時点で、立派な作為的演出でしょ!そもそも森達也が指摘している通り、ドキュメンタリーという映像メディア自体、立派な主観的作品なんである。
’99年に起きたコロンバイン高校銃乱射事件を題材にしているものの、底辺に流れるテーマは超大国アメリカそのもの。マイケル・ムーアは、銃の所有率と銃による殺人発生率の数字から、アメリカは恐怖が支配する国家であることを暴く。確かにこの論理で考えていくと、イラク戦争もすべて合点がいく。
彼のロジックには説得力があるし、映画もバツグンに面白い。それでも、もし僕がアカデミー授賞式に居合わせたとしたら、マイケル・ムーアの「ブッシュ大統領よ、恥を知れ!!」には拍手しないだろう。もちろん罵声も浴びせないけど。オスカーは政治的な所信を表明する場ではない。
カリフォルニア州ロサンゼルスで行われた講演で、ムーアが「ここに共和党支持者はいるか」と質問し、「いる」という返答があると、「君たちはマイノリティーなのだから、守られるべき存在だ」と発言したらしい。実に彼らしいエピソードだ。
- 原題/Bowling For Columbine
- 製作年/2002年
- 製作国/カナダ、アメリカ
- 上映時間/120分
- 監督/マイケル・ムーア
- 脚本/マイケル・ムーア
- 製作/チャールズ・ビショップ、ジム・チャルネッキ、マイケル・ドノヴァン、キャサリン・グリン製作総指揮/ウォルフラム・ティッチー
- 撮影/ブライアン・ダニッツ、マイケル・マクドノー
- 音楽/ジェフ・ギブス
- マイケル・ムーア
- チャールトン・ヘストン
- マリリン・マンソン
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