僕は自他共に認めるフェミニストなので、可憐な女性があっさり殺されちゃったりする映画は好きくない。
この『CUBE』も。キュートなメガネ女子・レヴンちゃんが最後に惨殺されちゃったりして、後味の悪さは特筆ものですが、着想は面白いです。
「立方体の部屋の集合体であるCUBEに閉じ込められた男女6人が、仕掛けられた殺人トラップをかわしながら脱出しようとする」というシンプルなコンセプトを軸に、極限状況に陥れられた人間たちの内面ドラマと、パズルを解いていくような論理性が不可分にして絡み合っている。
6つあるハッチの1つを選んで新しい部屋に移動していくたびに、少しずつ登場人物のパーソナリティーも違う面をみせていく。
頼れるリーダーの警察官のクエンティンは、次第に自己中心的な凶暴性を剥き出しにしていくし、臆病なだけの女子大学生と思われていたレヴンは、天才的な数学的思考を披露してみせる。
彼らは、おざなりでステレオタイプな人物造形ではない。まるでルービックキューブのようにカチャリカチャリと、部屋が切り替わるたびに、隠されていた人格も噴出するのだ。器も多層的なら、人も多層的なのである。
この作品が「新感覚不条理サスペンス」などという、分かったようでよく分からないキャッチコピーを頂戴している最大の原因は、結局最後まで「なぜ彼らはここに閉じ込められたのか」「なぜ彼らが選ばれたのか」「なぜこの建造物はつくられたのか」が提示されないからだろう。
せいぜい、「“奴ら”(政府のことらしい)によって器自体はつくられたものの、このまま放置しておくと忘れられた公共事業になっちゃうから、人を入れた」という超曖昧な説明があるのみ。
ドラマを構築するうえで必須ともいえる5W1Hのうちの、「WHY(なぜ)」が放棄されているのだ。
この無根拠性・不条理性が、かつてのスピルバーグの傑作『激突!』のように、映画としての純度を高める装置として効果的に作動している。彼らには皆「裁かれるべくして裁かれるのだ」という原罪の意識があるものの、この物語はそこに焦点を当てている訳ではない。
幾何学と方程式で積み上げられた数学的な世界観に、密室ドラマという最も人間の本性が垣間見えるプロットで併せ込んだ、戦略勝ちな映画なのである。でもやっぱり、最後にレヴンちゃんが殺されるのは良ろしくないかと。
- 原題/Cube
- 製作年/1997年
- 製作国/カナダ
- 上映時間/91分
- 監督/ヴィンチェンゾ・ナタリ
- 脚本/ヴィンチェンゾ・ナタリ、グラアム・マンソン
- 製作総指揮/コリン・ブラントン
- 製作/メーラ・メー、ベッティ・オァー
- 撮影/デレク・ロジャース
- 編集/ジョン・サンダース
- 美術/ダイアナ・マグナス
- 音楽/マーク・カーヴェン
- モーリス・ディーン・ウィント
- ニコール・デボアー
- ニッキー・ガーダグニー
- デヴィッド・ヒューレット
- アンドリュー・ミラー
- ジュリアン・リッチング
- ウェイン・ロブソン
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