西暦2002年、横浜ベイブリッジが何者かによって破壊されるという事件が勃発する。事件の黒幕と目されたのは、かつてPKO活動に従事していた柘植という男だった。
事件をきっかけに、自衛隊と政府の対立が急速し表面化し、首都・東京には戒厳令が敷かれる。混迷と混乱を増していくメガロポリス。実は、柘植の真の狙いは戦争状態をつくりだすことにあった…。
欺瞞と嘘に塗り固められた現代。終戦後、アメリカから与えられた「平和」という名の毛布にくるまり、ぬくぬくと高度経済成長、バブル崩壊と変遷を辿ってきた日本。
本編の影の主役、柘植行人は(最初と最後の数分しか登場しない!)「平和」というものの本質を国民につきつけるため、クーデターをおこす。
「国民よ、覚醒せよ!」ってなもんで、何だか『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルを思いだしてしまった。いつの時代も、先進的な思想を持つ者は軍事行動をおこすのがお好きらしい。
舌鋒鋭い優れた批評家でもある押井守だけに、この作品にこめられたメッセージは強烈だ。真実の戦争と欺瞞の平和には違いはないとするテーマには、平和ボケした我々に強烈なカウンターパンチを浴びせる。
つい最近、アメリカのアフガン空襲に足並みを揃えるべく、日本も時限立法で自衛隊を海外での活動を大幅に認めた。しかしそれは国際社会から孤立することを恐れた日本が、きちんとした法制定ができないまま慌てて自衛隊派遣を決めたようにみえる。
しかし、実際に外国でハードな作戦に従事するのは、自衛隊員自身。『機動警察パトレイバー2』のファーストシーンは、戦争を「向こう岸」のように思っている政府・国民と、リアルな体感を持って感じている自衛隊側のギャップが、印象的に描かれている。
押井守によれば、都市とは「崩壊していくものとか、沈んでいくもの」なんだそうである。彼が見なれていたはずの東京が姿を消しさった今、押井は逆にそれを壊そうとしたに違い無い。物語の終盤、軍用機が東京の主要建築物を破壊するシーンは、押井守なりの「首都再生」のイメージだ。
それにしても押井守という演出家は、実写も手掛けているからだろうか、構図やカット割りがアニメ的というよりは映画的だ。何だかいつも絵が逆光ぎみだし、広角レンズっぽいカットが挿入されてたりする。
彼は、常に「ファインダーごしの映像」を意識しているに違いない。このような感性は庵野秀明にも感じられたが、宮崎駿を頂点とする正統的なアニメ演出の対岸に位置するのが、押井守という作家なのだろう。
忘れがたいシーンがある。戒厳令がしかれ、街中に戦車や自衛隊員があふれだす。しかし、いつものように通勤ラッシュで会社にむかうサラリーマンや学校に向かう学生たちの日常も、そこにある。
個人レベルでは普段と何ら変わらない生活。いや、あるいは異常事態であることにすら気付いていないのかも知れない。湾岸戦争、アメリカ同時多発テロといった国家をゆるがす大事件さえも「向こう岸」にみえてしまう日本の特質を捉えたシーンではないだろうか。
「三年前この国に戻ってから、俺も幻の一人だった。そしてそれが幻であることを皆に告げようとしたが、最初の砲声が鳴り響くまで誰も気付きはしなかった…」
映画のラスト、 柘植行人のこのセリフに映画の全てが集約されている気がしてならない。この映画を観る我々もまた、幻のなかに生きる者なのか。
- 製作年/1993年
- 製作国/日本
- 上映時間/113分
- 監督/押井守
- プロデューサー/鵜之沢伸、濱渡剛、石川光久
- 原作/ゆうきまさみ
- 脚本/伊藤和典
- 作画監督/黄瀬和哉
- 撮影/高橋明彦
- アニメキャラクター・デザイン/高田明美、ゆうきまさみ
- 冨永みーな
- 古川登志夫
- 大林隆之介
- 榊原良子
- 池水通洋
- 千葉繁
- 竹中直人
- 根津甚八
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