ジョン・ヒューストン=“王になろうとした男”の独善的振る舞い
『キー・ラーゴ』(1948年)、『アフリカの女王』(1951年)、『白鯨』(1956年)といったヒット作を次々に送り出した、ジョン・ヒューストン。
しかしながら、ジョン・フォード、ハワード・ホークス、アルフレッド・ヒッチコック、ビリー・ワイルダーといったレジェンドと同列でその名前が論じられることは決してなかったように思う。
映画史にはっきりとその痕跡を残したフィルムメーカーではあるのだが、例えば蓮見重彦が武満徹との対談のなかで「かわいい、面白いことをするけど、才能なし」と一刀両断しているように、その作家性は今日に至るまで高く評価されているとは言い難い。
ジョン・ヒューストンは人一倍映画に魅入られ、映画に殉じ、映画に愛されたいと願った作家だった。しかし、映画の女神は遂に彼に一本たりとも真の傑作を作ることを許さなかった。
豪放磊落なパーソナリティーの人物と知られ、ホンマかいなと首を傾げたくなるほどの豪快エピソードに事欠かない彼だが、己の作家的才能の限界に苦しみ、アメリカン・ニューシネマ以降の映画界の潮流にアジャストできず、もがき苦しんでいたことは容易に想像できる。
脚本にジョン・ミリアス(代表作『ダーティハリー』(1971年)、『地獄の黙示録』(1979年))、音楽にモーリス・ジャール(代表作『アラビアのロレンス』(1962年)、『ドクトル・ジバゴ』(1965年))、衣装にイーディス・ヘッド(代表作『ローマの休日』(1953年)、『スティング』(1973年))と、当代一流のスタッフを揃えた『ロイ・ビーン』。
本作は、そんなヒューストンの内実を映像化したかのような作品だ。ここでは、“王になろうとした男”の独善的な振る舞いは、時代錯誤なものとして表象される。
無法がはびこるテキサスの町に、颯爽と現われて荒くれ者たちを撃退し、勝手に判事を名乗ってそのまま町に居座り、正義を名乗って治安を守ろうとするロイ・ビーン(ポール・ニューマン)。
短気で粗暴ながら面倒見が良く、町の人間との信頼も深めて行った彼は、次第に町の名士として頭角を表す。だが朝から晩まで賭けポーカーに興じ、自分勝手な法解釈で私腹を肥やしていった彼のやり方は、急速に近代化されていく西部の町とソリが合わなくなり、自分の居場所を失っていく。いやー、筋立てからしてジョン・ヒューストンの半生をなぞっているかのようだ。
実際、ジョン・ヒューストンは“熊のアダムズ”なる山男の役で登場し、「暖かい場所で死にたい」とシャベルで土を掘りまくる(映画内で彼はロイ・ビーンに熊を与えるが、パーティでもらったチンパンジーをそのまま連れて帰ったというヒューストン自身のエピソードにも近接している)。
類い稀なバイタリティーを誇ってきた彼が、死へ向かって疾走する役を演じているのだ。『ロイ・ビーン』という映画自体が、ヒューストンに映画監督としての“死”を宣告したアメリカン・ニューシネマ風タッチであることからして、実に暗喩的なシーンと言えるだろう。
まあ何よりも暗示的なのは、ロイ・ビーンが恋焦がれる大女優リリー・ラングトリー(エヴァ・ガードナー)に、最後まで逢うことができないことだろう。
明日を生きる活力と、日々のインスピレーションを与えてくれる女神リリーは、ヒューストンにとっての“映画”そのもの。映画の神リリーは、ロイ・ビーンの死後数年経ってから、西部の町に現れるのだ。
それはせめて、自分の死後は己のフィルモグラフィーが評価されたいという、彼の偽らざる思いなのかもしれない。
- 原題/The Life And Times Of Judge Roy Bean
- 製作年/1972年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/120分
- 監督/ジョン・ヒューストン
- 製作/ジョン・フォアマン
- 脚本/ジョン・ミリアス
- 撮影/リチャード・ムーア
- 美術/タンビ・ラーセン
- 衣装/イーディス・ヘッド
- 編集/ヒュー・S・フォウラー
- 音楽/モーリス・ジャール
- ポール・ニューマン
- エヴァ・ガードナー
- ヴィクトリア・プリンシパル
- ジャクリーン・ビセット
- アンソニー・パーキンス
- ステイシー・キーチ
- ジョン・ヒューストン
- ロディ・マクドウォール
- タブ・ハンター
- ネッド・ビーティ
- マット・クラーク
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