何でも巷では、「スパイダーマン2は男が泣ける映画だ」という風評が、まことしやかに流れているらしい。
僕が思うにその理由は、作品の主題である「大きな力には大きな責任が伴う」というフレーズに、管理職のオジサマ方が「そーだよなー、仕事きついけどとりあえず俺課長だし、しっかりしなきゃいかんよなー」と、実感したからに他ならない。
オジサマだって辛いんである。その辛苦たるや、とてもこのページに書ききれないほどであるが、この映画のレビューとは何の関係もないので書く必要もない。
例えばアイドルが「普通の女の子」になりたいとかぬかして、武道館あたりでラストライブやって引退することはよくあったんだけど(このパターンは80年代限定)、スーパーヒーローが「普通の人間になりたい」とかいってその能力を放棄しようとすることもよくあることなんである。
『スパイダーマン2』は、「普通の男の子に戻りたい」的葛藤を全編2時間に渡って綿密に描いており、その結果定型的なヒーローものというよりも、秀逸な青春コメディーとして評価されるべき作品に仕上がっているんである。
トビー・マグワイア演じるピーター・パーカーに、スパイダーマンであることの責任を自覚させるため、サム・ライミは物語の大半を主人公の葛藤に費やす、という荒技をやってのけた。
だからこそ、物語の終盤において、素顔をさらし精根尽き果てたスパイダーマンを、ドック・オクから一般市民が守ろうとする攻守逆転のシーンが感動的に映るのである。
過去のヒーローたちはごく近い知人や家族、恋人に助けられることはあっても、匿名性を持つ市民に助けられるシーンは無かった。
これはピーター・パーカーとしてではなく、スパイダーマンとしてのアイデンティティー、ヒーローとしての動機付けを確固たるものにするために必要不可欠なシーンであったと言えるだろう。
しかし、ここで不可避的な問題が発生する。本作においての悪役キャラ、ドック・オクはヒーローがヒーローとしての自覚を得るための触媒としてしか機能しない。
結局、やれシュワルツェネッガーだ、ロバート・デ・ニーロだと囁かれていたドック・オクの配役は、舞台俳優として活躍中のアルフレッド・モリーナというおっそろしく地味なキャスティングでおさまってしまった訳だが、その役割も地味すぎるのである。
ちなみにアルフレッド・モリーナは、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)でハリソン・フォードを裏切って逃げようとし、あっさりトラップにひっかっかて殺されてしまった哀れな従僕その人。20年以上昔は小悪人だったが、現在にいたって人並みの悪人に出世できたことは実にめでたい。
それにしてもMJを演じるキルスティン・ダンストが、82年生まれだからまだ22歳のハズなのに妙にオバサン臭くなったのは実に良ろしくない。
彼女のピークは、まだ18歳くらいだった『ヴァージン・スーサイズ』(1999年)か?まさか12歳の時の『インタビュー・ウィズ・バンパイア』(1994年)ってことはないだろな。
- 原題/Spider-Man2
- 製作年/2004年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/127分
- 監督/サム・ライミ
- 製作/ローラ・ジスキン、アヴィ・アラド
- 製作総指揮/スタン・リー
- 脚本/アルビン・サージェント
- 撮影/ビル・ホープ
- 音楽/ダニー・エルフマン
- 美術/ニール・スピサック
- 編集/ボブ・ムラウスキー
- トビー・マグアイア
- キルスティン・ダンスト
- アルフレッド・モリーナ
- ジェームズ・フランコ
- ローズマリー・ハリス
- J・K・シモンズ
- ディラン・ベイカー
- ビル・ナン
- テッド・ライミ
- エリザベス・バンクス
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